
「語る。」
だいじなこと
言葉を語る。
真実を語る。
本心を語る。
本音を語る。

奥沢駅近くの、自由通り沿いにある本屋。
この本屋、前に1時45分頃通りかかったときまーだ電気がついてて、シャッターも開いてて。
「えええええ?まだやってるのか?まっさかー!ただ電気ついてるだけだよな。」
くらいに思っていたのだけど、こんな時間に帰ってきてもやっぱりお客さんがいる…本屋に寄りたかったし、と思ってこの本屋によってきたのだけど、店主のおじさんと何時までやってるんですかー話をしたところ、午前2時までやってますよー。うちのこういうかんじはセブンイレブンとかが24時間になる前からずっとなんですよー。って言われて、本気で感嘆してしまった。こういう職業についた都合、昼間とかに本屋になかなか行けなくて、うーんと思っていたのだけど、この本屋があれば、終電で帰っても余裕でよれるなあ。と思って、もうこの本屋の常連になってしまうんだろうな。と本気で考えたりもした。元々大きな本屋もそれなりに冒険チックで楽しいのだけど、それよりもやっぱり、こういう個人営業のお店の人とフランクに話せる本屋は大好きで、本気で感動してしまった。
や、ホントにうれしい。
軽度に酔っているのでまともな文章が書けていない気もするのであしからず。

blogのエントリー数が800を越えてかなり再構築に時間がかかるようになってきたので、phpにしてサイドバーの内容をphpで読み込むようにして、時間が15分くらい短縮できた。
ちなみに昨日からつけてる画像にゃ面白い機能がついてるのでクリックしてみるとなかなか面白いです。最近流行ってるみたい。
「高桐院」
ふと思い立って相当ごり押しで友達に迷惑をかけながらも京都に行き、大阪に行き、大阪の関西弁に揉みに揉まれて、浮世絵の摺り師のおじさんが神坂雪佳の展示会に関わっている人だ〜と言う事を知ってかなり感激して、帰りの電車に乗る前に食べた食事は3日間の中で最も高くビール一杯しか飲んでないのに3500円でとそんな京都への旅をしてかえってきた。
そんなかえってきた翌日。1人でぶらりと本谷有希子の芝居を見に行き、前日まで泊まっていた友達の家で見た「フリクリ」のEDのモデルが本谷有希子だったなあと思い出しながら、でも今回も本谷有希子本人は舞台には登場せず、相変わらずの場内放送での登場で毎度の事ながら笑かせてもらったのだった。
6日後の土曜は、芝居行く約束をドタキャンされてしまい途方にくれてしまって、自分が1〜2ヶ月かけてする電話の量をたった2〜3時間でして、テレカの時代だったら50度数が全部なくなってるな。って思えるそんなくらいの電話。結局そんな芝居直前3〜4時間で暇な人を見つけることができず、この一枚ってすごいもったいないなあとしょぼくれながら、のんびりと1人で観劇。2週間連続1人で観劇というのもちょっとつまらないものだなぁと感じながらも唐組の芝居はとってもほくほくしているので、雨がざーざー降って靴がぐちょぐちょでうんこ踏んじゃったーみたいになっていてもとっても心地よかった。やっぱり唐十郎のあの笑顔は何回見てもたまらない。可愛い。
そう思った翌日はもういい加減髪の毛が邪魔くなってきたのでばっさり切り落とし、実家にかえって2ヶ月ぶりに実家で寝る。やっぱりまだ思うのはこの世田谷のおうちに帰ってくるよりも、はるかに実家付近に帰ってくる方が精神的に落ち着くものがあるということ。きっとまだまだ東京人にはなれていなくて、横浜人なんだなとあらためて痛感して昨日は寝た。

朝起きてご飯を食べたり、掃除をしたり、洗濯をしたりという行動が今朝数週間ぶりにできたし.......
この1ヶ月半で社会人になった!といっても社会人らしいことといえば、実際毎日会社に行って夜遅くまで会社に居るということぐらいで、いままで着ていた服装だとかそんなものにまったく変化がなく、パソコンをカタカタうちながらitunesの共有でヒトの音楽を脳内に垂れ流しているという状況自体どっかの田舎キャンパスにいたころから変わらないことなので、ほんとうにまったく自覚がないダメ社会人を始めてしまった。とは実は心の片隅で思っている。そんな感じで4月の末頃に馬車道のどっかで話していた“生き辛い”なんてことを真剣に考えていたらそれまでイヤだーとか思っていたはずのCASTERなんてものが机の上に置いてあったり、ローズマリーの小瓶の中になぜか吸殻が2本も入っていたり。(でもこれに関してはあまりにも自分の無謀さとか、身体に合わない感じにイヤになって、且つ昔から吸うヒトの近くにいたせいかやたらそのモノを受け付けない感じがしなくなってしまっていて、身体には合わないまでも「意外と大丈夫かも・・・」と思ってしまった自分自身に辟易して、やっぱりこんなもの吸うものじゃないな。と思って。でもやっぱり270円で買ったものをポーイって捨てるのはイヤなので机の上にとりあえずまだ置いてある。)食というものを捨ててでも生きていけてしまうということをつい1ヶ月くらい前に気づいてしまった。もちろん最低限(1週間に4~5食くらい)食べないと生きてはいけないけれど…だからその感じを覚えてしまった以上多分今後食を削っている自分というものにそこまでの危機感を感じなくなってしまう気がする。まあとりあえず、まだ眠れないということになったことはなくて、きっちり寝ないと「眠いー」と言い出して普通に寝てしまえるヒトなのでその辺はまだ正常なよう。
自分が今まで苦手だーとか思っていたことって実際結構な数が存在していて、それに対する言葉もそれなりに発してきていたはずなんだけど、最近真剣にそういったものへの苦手だと思う考えが崩壊しつつある気がする。
例えば
たばこ
とか。
本当に自分がそれを苦手と言及できるだけの道理とかなにかを持っていたはずなのに、それが実際たいした事じゃなかったんじゃないかとか言う考えがふっと頭をよぎる。すると、この広げたA0の紙の中にほんのちょっとしか書き込まれていない自分の現在はいくらでも塗り替えられるし塗り足しができてしまうのではないかと思えてくるからなかなか危険である。
だから、
今
「たばこは吸いません。」
とか言っている自分は明日にはその紙の上には居なくなっているのかもしれない。
最近そういう事をひどく感じる。


セイウチに始まり、
カエル
猫
トカゲ
パンダ
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